なつかしの先生方からのメッセージ
阪神淡路大震災とオウムによる地下鉄テロがおきた直後の1995年4月、明の星の門を入り、緊迫した世の中とは一歩離れた、楽しく充実した5年間を過ごさせていただいた。
1993年の夏、長年の友人に紹介され辻校長先生とお会いし、昼食を摂るのも忘れて数時間歓談したことが、明の星との縁の始まりだった。その時考えられていた中学校開設の助けとして呼ばれたが、残念ながら当時は条件が整わず、中学校開設は夢と消えた。現在、その中学校が創られ、立派な成果を上げていることは喜びに堪えない。
在職中特に困ったこともなかったが、ただ一つ悩ましいことが時々あった。それは、毎朝の朝礼で校長先生不在の時、代わりに短い講和をすること。校長先生はご自分でテーマを決め毎日連続講和をされていましたが、そのテーマに割り込むことは出来ず、何を取り上げるか、悩んだ。話終わると、どっと汗が出たことを覚えている。
話しといえば、もう一つある。それは、正和会役員会でも最後に「教頭先生の話」というコーナーが設けられており、拷問でした。公立中学校のPTAでは、挨拶や説明をすることはあっても、エッセーのような話をすることはなかったので、驚いた。苦し紛れに思いつくことをアドリブで話していたが、亡父に認知症の症状が出始めた時の、悲しくも嬉しい、複雑な感情を話させてもらったことは、今でも記憶に残っている。
退職した後の人生を、明の星のモットーのように送りたいと努めている。今、自分はBestなのか。本当の自分を表せているのか。時々自問自答している。ここ数年の私の生活は、
(1) 平日の夕方は孫が飼っていた犬(2頭)の散歩。お陰さまで血糖値は良くなったけれど、2時間弱、縛られるのがきつい。
(2) アコーディオンの練習。退職後、妻に勧められて始めた。楽器経験ゼロからのスタートなので、遅々たる歩みだが、出来ないことが出来るようになる楽しみは大きい。
(2019年度懇親会を失礼したのも、演奏会直前で練習と準備で伺えないため)
(3) 最近脚光を浴びてきた日常生活支援を行っている有償ボランティア組織(たすけあい辰巳ねこの手 という)の文書作成や統計処理。これには、退職直後に、今後を考えて習ったパソコンに大いに助けられている。
(4) 住んでいる地域の福祉ネットワークの広報紙を年5回発行すること。初めは自分たちで大雑把に編集して、細かい割り付けなどは印刷屋に丸投げしていたが、今は経費が出なくなったので、A3版表裏フルカラーの紙面を、新聞編集ソフトを使って私が印刷データを作っている。細かくて目が疲れるが、なかなか遣り甲斐がある。
(5) 月に2~4回、前述の福祉ネットワークの事務所の電話番と「辰巳ねこの手」の仕事依頼の処理。
一病息災ではなく4病息災ではあるが、傘寿を目前に控え元気に日々を送らせてもらっており、Be your best かなと満足している。Truest self かは自己診断は難しく。神さんに委ねたいと思う。