なつかしの先生方からのメッセージ
その当時は通学手段が巷のバス(路線バスのこと)・スクールバスそして開通を待ち望んでいた武蔵野線(時間帯によっては1時間に1本と、極端に少ない運行)。武蔵野線開通により、生徒の通学地域は広がり、電車通学生が増加しました。しかしあまりにも少ない本数の武蔵野線に教育現場が振り回されることもしばしばでした。長びく終礼に生徒から苦情が、時には険悪なムードになり・・・。放課後ギリギリまで活動していた生徒の集団が昇降口から脱兎の勢で東浦和駅へ一目散・・・。残されたものは地響きの音。何がおきたのかと思う一方で、電車に間にあったかしらと心配もしました。
その後、武蔵野線沿線の発展とともに、本数も増加し、学校生活が電車のダイヤに翻弄されることも少なくなっていきました。
さらにその頃の高等学校関連の建物としては、本校舎(普通教室・特別教室・食堂など)・寄宿生の為の寮、そして体育館ぐらいだったと思います。無い無い尽くしのなかでの活動でした。体育館はホールとしての役割も担い、入学式・卒業式・合唱コンクール・校友会総会など、色々な集り、行事が執り行われていましたので自分の椅子持参で体育館へということも多かったでした。特に学校中の備品が移動する文化祭では、準備・復元の折に何度も何度も教室と体育館を行き来し、作業が終了すると疲労困憊で立ち上がれない状態にもなっていました。でも文化祭は持てる力を十分に発揮し、仲間と一緒に自己表現できる行事。
疲れていてもやり切ったという充実感に満ち溢れていました。
立派なホールが建設されるまで、しばらくは体育館への椅子運びは続きました。
以上のように書き綴っていると思いでは走馬灯のように浮かんできます。でもここでストップ。
同窓生の皆様、明の星学園で過ごした時代はそれぞれ異なりますが、お一人お一人が50周年の明の星学園の歴史を築きあげてきたことは確かです。時折、同じ校訓のもとで過ごした数年間を思い出し、それを心の糧にして、今を図太く、しなやかに、そして楽しんでお過ごしください。