なつかしの先生方からのメッセージ
薫風のさわやかな季節を迎えております。浦和明の星女子中学・高等学校同窓会の皆様には益々ご活躍の段、お慶び申し上げます。この度は、同窓会結成50周年おめでとうございます。
この春、3月で明の星の教員生活を辞した元国語科の石井清一です。専任・非常勤時代を通して45年間勤めました。その際には貴会から過分なる餞別まで頂戴し、大変ありがたく恐縮に存じます。
明の星を辞してから早くも一ヵ月半が過ぎようとしています。時間がゆったりと揺蕩う中、年度初めの慌ただしさが、今では遠い昔の様に懐かしくもあります。家に持ち還った授業での資料や諸々の書類・写真等の整理に明け暮れの毎日ですが、「春日遅々の如し」で一向にはかどりません。
思えば、小生が浦和明の星女子高等学校(当時は高校だけでした)へ勤めたのは、国語科の大先輩、風間栄四郎先生・渡辺三郎先生両氏の尽力により、昭和49(1974)年の4月のことでした。その前に準備段階で何度か職員室を訪れ、春休みであるのにもかかわらず、修道服姿のシスターの先生が数人、新学期の準備を厳かな雰囲気の中でなさっておりました。ことば使いの柔らかさ、丁寧なしぐさ等、きっとこの学校で学ぶ生徒達も同じ様な雰囲気(校風)を持っているのだろうと想像すると、男子校出身で、工業高校の男子の豪放磊落で荒々しい中でしかの教員・教壇経験で、この先大いなる不安が増大していったのを、退職した今あらためて思い出しています。
案の定、授業が始まり、国語教師としてのことば使い、接し方、話し方、授業の進め方等、男子校とはまるで違う学校生活に、日々戸惑うばかりでした。そんな折、国語科の白田和子先生やシスター早坂先生が、適切な助言を下さり、少しずつ明の星の雰囲気にも慣れてゆきました。校訓『正・浄・和』の意味するところ、モットーの『Be your best and truest self.』が目指すところをも。授業や行事・委員会部活動等の日常の学校生活の中で、あのような雰囲気や気風を活かすことが出来るようになったのは、だいぶ時間が経ってからのことだったと思います。
言語の構造や言葉の成り立ち・小説や詩歌の中の情操、文学作品の悩み等の文学的活動や評論活動の意義、古典文学の面白さ等、国語の授業では、教科書とことばを使いながら現実生活とのかかわりを、そして、女子教育の大切さ等を説かねばならず、若輩の小生には、勤めた頃は大変な重荷でもありました。
また、漢文を訓みなが人生哲学を鑑み、倫理的・道徳的な課題にも触れ、孔子・孟子・韓非子や老子の今日的な意味を説き、屈原の悲劇、項羽と劉邦の興亡等を語りましたが、貴君らの心にどれだけそれらが残ったか? 試験のためだけの授業を否定しながらも、ある程度の点数は取って欲しいとの大学受験的な矛盾も抱えながらの年月であったかも知れません。語り合うことの難しさ、一方的な圧しつけではなかったか? 貴君らがそれぞれに応えを出しているとは思いますが。
いずれにしても、言葉の持つ力の恐ろしさを実感しながらの授業だったと思います。授業の語りの中で、
委員会活動で、部活動で、汗を流しながらそれらを通して何かに気付いて欲しい、自己中心的で無く、自律的女性としての自分の視点を確立して卒業して欲しかったのです。小生の一貫した姿勢でありました。ですからいたるところに人生的な伏線や疑問を施したつもりです。美術館・博物館等の紹介もその一環です。
(例えば、近代自我の問題で、『羅生門』の下人が暗闇の中へ駆け下りて何処へ行ったか? そして『山月記』の李徴がその暗闇の中で何故トラにならなければならないのか? 暗闇と自尊心とは何を象徴しているのか? ?外は何故太田豊太郎とエリスの恋を成就させずにエリスを発狂させねばならなかったのか? 近代の自我の世界とそれを取り巻く時代と環境、官僚社会の制約が為せる業とは何なのか? 三島由紀夫の美意識は陽明学との関係でどう政治と関わっていったのか? そうした諸問題に直面した時の自分の生き方にどうフィードバックできるか。小生の考えを述べながら、思考と方法論の問題等を諸君に考えてもらったこと等を、今思い出して欲しい。等々。)
そうした時の貴君らの反応は、賛同と共に時に忌避や嫌悪の顔に襲われた諸君もいたのではないですか。時に批判や反論もあったことを思い出します。しかし、環境と能力に恵まれた貴君らが、自らを見つめながら、明の星で過ごした数年間は、己の貴重な宝物を醸成していったことには違いありません。君達一人一人が社会での勝利者になるのではなく、他者のために自分の力を献身的に働かす姿を小生は目指していたのです。本当の自分を、です。「青は藍より出でて、藍よりも青し」(荀子)でしょうか。
今、社会で活躍しておられる貴君らの数々の噂を時々耳にします。その献身的な姿は、まさしく明の星が小生が目指したものだったと。明の星を辞して、今この様なことを思っています。
どなたかを又は何期生かを具体的な対象として、また、校務的に責任ある立場からの発言では無く、ただ長々と抽象的で全体的な述懐となってしまいました、お許しあれ。いずれ、また何かの機会があるかも知れません。
そして、せっかくのお誘いの6月15日の懇親会、土曜日の大半は姉達との関係で残念ながら出席できないと思います。申し訳ありません。皆様に宜しくお伝え下さい。
お集まりの卒業生諸氏にしあわせを願って筆を置きます。 不一
追伸
平成が終り、令和の新元号が発表されたとほぼ同時に新紙幣のデザインも発表され、政治的・経済的・社会的に新しい時代が動き出そうとしていますが、明の星の目指す教育が、そうした言葉の氾濫・興亡に流されること無く、続いてゆくことを願わずにはいられません。
国語科職員と