なつかしの先生方からのメッセージ
「浦和明の星での歳月」
昨年明の星学園創立五十周年記念式典に伺うことができました。
愛らしい生徒さんたちに、懐かしい教職員に会いました。そして、校舎の改築もあり退職して二十数年経ったのだという感慨が湧き、その後思い出が次から次へと‥‥。
明の星に就職の面接に伺ったときのことは鮮明に覚えている。浦和駅からタクシーで、人家の少ない、何か見知しらぬ遠い遠い土地にやって来たという心細さがあった。武蔵野線は未だ貨物車だけが走っていた。後日生徒たちは、「日本のチベットと言うのです」と教えてくれた。応接室で緊張しつつ待つ間、窓から外を見ていると、灰色の空を白鷺が二羽、飛んでいた。白い鳥は灰色の空に白く、白く、飛んでいると思った。そのとき美しいものを見たときの喜びで心が柔らかくなっていった。そして美しく凛としたカナダ人の修道女、アンリエット・カンティン校長先生にお会いし、その自然豊かな土地で高校短大と二十七年間過ごすことになった。勤めたというより過ごしたという感覚である。
春は桃の花が咲き、秋は黄金に実った稲田が広がった。私は田園風景が好きで仕方がなかった。そういう私に生徒さんは「全然珍しくない、私の家の周りもこのようだ」と笑った。でも、ヒメジョオンの花束を作ってプレゼントしてくれた生徒さんもいて楽しかった。明の星で出会った生徒さんたちは、何と生き生きとして、大らかで純朴だったことか。そのような生徒さんに感激し、愛しいと思った。
自分の未熟さを抱え、惧れていた私は、「その人に本当に影響を与えるのは、神様なのだ」と諭してくださった恩師の言葉を肝に銘じつつ、また生徒さんたちに助けられ、励まされて教師生活を送ることができた。
明の星での長い生活は、言語を基盤にした異文化―思考の違い・美意識の多様性など―を体験として学んだ貴重な歳月でもあった。或るシスターは「外人と言われると寂しい」とおっしゃっていたことは忘れられない。一生懸命日本に馴染もうとしていたのに、悲しかったのだろう。私が日本文化との違いを感じたということは、カナダから日本にいらっしゃった修道女も同じだったことだろう。どれほど故国を懐かしかったことかと思う。カナダの美しい広大な土地、秋は日本には見られないほどの濃い赤に染まるメープルや蔦の風景、清潔な街並。それを日本人の生徒や教員にも見て欲しかったに違いない。
明の星で育った卒業生のことを想うと、彼女たちにとって何よりも幸せなことは、祈りつつ教育に献身する修道女たち、教職員の方々に接したことではなかったかと思う。朝に夕に在校生、卒業生の幸せを神様に祈り、行く手を導くマリア様に護りを願う。己のことを思い、本当に心から祈っている人がいるという幸せ。そういう人がいてくれるということは、その人が苦しみの中にあっても、孤独の中に捨て置かれることはないと思う。ミッションスクールの卒業生は、自分のために祈っている人がいるということを折に触れ思い出してください。そして自分の上に注がれている暖かな眼差しに気づくことができますように。
現在私は、若いときから私淑した井上洋治神父の「日本人の心の琴線に触れるキリスト教」を願って創設された「風の家」の運動を続けています。
感謝をこめて