3期生の平山です。武田先生には50年以上に亘ってお世話になって参りました。
今日は先生の思い出と先生への感謝のことばを述べさせて頂きます。
私が武田先生と出会ったのは、開校2年目の明の星に入学した時でした。
授業や校友会活動でご指導いただきました。その頃先生はまだ30代、とても明るく活動的なシスターでいらっしゃいました。
お元気なシスターの懐かしい思い出はスポーツデーでの出来事です。
当時シスター方は丈の長い修道服をきて頭にはベールをかぶっておられました。先生はその修道服のままのお姿でスポーツデーに参加されて、ある競技であまりにも一生懸命に走られて、途中でベールが飛んでしまったのです!
私達生徒は「ホーリーなシスターのベールがとれてしまった」と、ドキッとしたりビックリしたりしたのですが、先生は最後まで走り終えて、拾われたベールを頭につけ直し、ニコニコとされていました。
先生は普段は穏やかでいらっしゃいましたが、厳しく指導されることもありました。
当時、校舎の5階に寄宿舎があり、私も留学前の3ヶ月ほどお世話になりました。寄宿生は10名ほど、皆で楽しく和やかに過ごしておりましたが、私達が時間や規則を守れなかったりした時には、舎監の武田先生にピシッと厳しく叱られました。
私が大学を出て明の星で教え始めた時にはまだ武田先生も英語科にいらしたので、授業のこと生徒指導のこと等で度々相談にのっていただきました。ご相談に伺うと、よく話を聞いて的確なアドバイスを下さり、ずいぶん助けていただきました。とても有り難かったです。
先生がしばらく浦和を離れた後、校長先生として戻られてからの思い出は様々ありますが、一番心に残っているのは、先生のされたお話のことです。折々に、生徒や保護者に話される時には、いつも心に響く深いお話をされました。
ある保護者会の折りに、一人のお母様が「武田校長先生のお話を楽しみに、保護者会に来ています」と言われました。
朝礼での生徒へのお話は、当日の聖書朗読の内容に関してや先生が読まれた本からのお話でしたが、その内容は示唆に富み、人生を考えるヒントや生きていく上で大切にしなければならないことに触れられていて、生徒たちは大変よく聴いておりました。私もその日一日、朝礼で頂いたテーマを考えながら過ごしたものです。
「教育は種まきである」とよく言われますが、先生のお話は、まさに生徒の心への種まきであったと思います。先生のことばが、いつの日か生徒たちの心の中で芽を出し、花を咲かせてくれていたのではないでしょうか。
もう一つ先生のお姿から強く感じていたことは、先生が「一人一人をとても大切にされる」ということです。
有り難いことに、私も大切にしていただいた一人ですが、多くの卒業生がそのように感じているのではないでしょうか。
学校の中で思い出す場面の一つは、年度末の納め会で、退職される教職員の方々へ、長く勤められた先生にはもちろんのこと、ほんの一年講師として働かれた先生にも、実に丁寧にお礼のことばを述べておられたことです。勤務の長短にかかわらず、明の星で教えて下さったことへの校長先生としての感謝の気持ちをお一人お一人に伝えておられたのです。
私の同期の友人は、中三の時一人で学校見学に来て、武田先生に校内を案内して頂いたそうです。そして「こんなに素敵な先生がいらっしゃるなら是非ここに来たい」と強く思ったのだと話してくれました。学校見学の短い時間の中でも先生の穏やかなお人柄に触れ、先生に大切にされた、と感じたのだと思います。
先日、青森の明の星短大で武田先生とご一緒に学ばれて、以来ずっとお友達でいらしたという方と先生の思い出話をしておりました。その方が、「武田さんは誰に対しても丁寧だったのよ。私も話を聞いてもらってずいぶん癒されたわー」と話されたのを聞いて、「あー、先生はお若い頃からご自分が出会う一人一人の方を大切にして生きておられたのだ」と深く納得いたしました。
先生は、先ほどの聖書朗読で読まれた箇所にある「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。」ということばに、ご自分の修道者としての召命を確信し、神に絶対的な信頼を置いておられた。そして、深い信仰心をもって日々出会う一人一人を神の似姿として大切にされていたのだと、今、改めて感じています。
生涯、神とともに誠実に歩まれた先生
素晴らしい教育者であられた先生
私たちは先生との出会いの恵みをいただいて、本当に幸せでした。
先生を見習って、私たちも日々出会う一人一人を大切にしていけたらと思います。
先生は、学校を離れてからは「明の星と生徒たちのために毎日祈っているのよ」と話されていました。これからもどうぞ天の国から私達を、そして、今日ここに集えなかった卒業生皆を見守っていてください。
武田先生、長い間本当にありがとうございました。